鶴林寺(鶴林寺)公式webサイトトップ 鶴林寺(鶴林寺)公式webサイトトップ

鶴林寺について

鶴林寺は詳名を「寳亀山寿翁院鶴林寺」といいます。開山は見譽貞山覚智(けんよていざんかくち)和尚。開基は永禄十二年(1569)年に土地や建物を寄進した瀬沼伝右衛門です。当寺はこれまで4回の火災に遭っています。

御本尊の阿弥陀如来・観音勢至両菩薩像は、三回目の火災で御本尊を焼失したため、十八世聴譽和尚の代の文化十四(1817)年に、大本山増上寺扁誉台下より供養料十両をつけてお下げ戴いたものです。四回目の火災の時には御本尊や大型の須弥壇(しゅみだん)を担ぎ出したものの、大切な過去帳を焼失してしまいました。

十年後の明治七年に本堂を再建し、現在のコンクリート造りの本堂は二十五世苑譽高雄(えんよこうゆう)和尚の代の昭和四十九(1974)年に再建し、客殿、庫裡は平成十年に再建されました。鐘撞堂は享保二(1717)年に造立され、同年鋳造の梵鐘(釣鐘)は昭和十三年に他の仏具とともに供出されましたが、昭和二十五年檀信徒をはじめ下鶴間全域にわたる有志の浄財により新しい梵鐘が奉納されました。

私たちの宗旨

名称
浄土宗
宗祖
法然上人〔源空〕(1133-1212)
開宗
承安五年(1175)
本尊
阿弥陀仏(阿弥陀如来)
称名
南無阿弥陀仏
お経
お釈迦様が説かれた『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』の三部経

法然上人と浄土宗

法然上人(幼名・勢至丸)は、長承2年(1133)に現在の岡山県に武士の子として生まれました。九歳の時に夜襲で父を亡くした後、僧侶であった叔父観覚の元で修行勉学に励みました。
15歳で比叡山に上り、智恵第一と言われるほど勉学に励まれましたが、万人救済の教えを見出すことができませんでした。

法然上人は、ご自身および人間の本質は「煩悩に囚われ迷いから抜け出せない凡夫」と考えられました。
そんな凡夫である私たちであっても救われる教えを求め、18歳から黒谷青龍寺の経蔵にこもり、血みどろの求道生活を続けられます。承安5年(1175年)法然上人が43歳の時、ある一文に出会って衝撃を受けます。

それは中国の高僧、善導大師の『観経疏』の「一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥に時節の久近を問わず。念念に捨てざる者、これを正定の業と名づく。かの仏の願に順ずるが故に。」というお念仏の教えが説かれた一文です。
この教えに出会い法然上人は専修念仏のみ教えを確信します。「お念仏を唱えれば誰もが浄土に生まれることができる。」この教えをを示すべく、法然上人は浄土宗を開かれました。

お念仏について

法然上人の教えは、自分一人が救われればいいというものでは、ありません。自分に苦しみや、悲しみがあるからこそ、他の方々を慈しむことができるのです。

大切な方々の幸せを望み、やがては極楽浄土で再会できるように。
またたとえ生前ご縁のなかった方であっても、その苦しみから脱して幸せになってほしいと願って。
そのために、皆が極楽浄土に往生してほしいと望んで、お念仏をお称えしましょう。
あなた自身の、愛する方々のため、先立たれた大切な方のため、そして有縁無縁の全ての方々のため、日々のお念仏を大切にしてみてください。

©︎zyoudosyuu kakurinji